【ミャンマー】ビルマで亡くなった英霊を弔うため、ヤンゴン日本人墓地を訪れた。

 

前回の「【ミャンマー】ヤンゴン市内で一番有名なスポット、金ぴかに光り輝く『シュエダゴンパゴダ』を訪れた。」に続き、ミャンマー訪問記第二弾です。

今回の目的地は、観光という目的には相応しくないかもしれません。ですが、東南アジアを訪れる日本人として、第二次大戦中そして戦後、現地に駐留した日本人がどのように生きていたのか。それを感じるために、そして異国の地で没した先人を慰霊するためにも、日本人墓地を訪れることは決して時間の無駄ではないかと思います。

 

 

ヤンゴン日本人墓地はヤンゴン市内の北のはずれ、国際空港の近くに位置します。ダウンタウンからはタクシーで1時間程度、料金にして約10,000チャット(約1,000円)です。

近くにはAung Mingalar Highway Bus Station(アウンミンガラー高速バス停留所)があります。ゴールデンロックに行く際は、このバス停を利用しました。

墓地を訪れる時タクシーに乗る際は、できれば交渉して往復で乗るようにしましょう。行くときはともかく、墓地からの帰りにタクシーを探すのは大変です。筆者は、墓地までの往復+墓地での滞在時間+チップで25,000チャットで交渉がまとまりました。

 

 

どっかのサイトでは「墓地内はブーゲンビリアが咲き誇り、色鮮やかな花々が見られる」とありました。

が、筆者が訪れた際は色とりどりの花々はそこまで多くありませんでした。しかし手入れはしっかりされており、雑草なども綺麗に駆除され、ちゃんとした管理者がいるのだと思わせられます。

墓地内はそこまで広くはありませんが、一つ一つお参りしたりするならば、30分から1時間程度は時間を見たほうがいいでしょう。

 

 

慰霊碑はいくつかありますが、そのうちのいくつかをピックアップしてみます。

まずは杉良太郎さんが平成10年(1998年)に寄贈した碑です。この当時の肩書はユネスコ特使でした。杉様といえばベトナムへの支援が有名ですが、ミャンマーにも足を運ばれていたんですね。

 

 

お次は『ビルマの竪』の主人公・水島上等兵のモデルとなったと言われる中村一雄氏の慰霊碑です。

中村氏はインパール作戦に従事し、ビルマ(ミャンマー)で終戦を迎えました。異国の地で亡くなった日本兵を弔うために長年ミャンマーに滞在したと言われています。

 

 

その他にも、いくつか慰霊碑があります。中には文字がかすれて読めないものもありますし、無縁仏の墓もあります。

それでも全体的にはわりと綺麗に整備されています。

 

 

墓地内の最奥部には、白亜の小宮殿のようなビルマ平和記念碑があります。これは昭和56年(1981年)に日本政府が建立したものです。

記念碑の中では記帳と線香をあげることができます。線香は記念碑の中にスタッフ(この日は子供でした)がおり、その方が売ってくれます。値段は1,000チャット(約100円)です。

記帳ノートを見ると、結構な頻度で日本人が訪れていることが分かります。駐在員や旅行者など様々な方がここを訪れていました。

 

 

決して市街地から近い場所ではないですし、訪れて楽しい場所でもありません。ですが海外に住む日本人として、かつて異国の地で亡くならざるを得なかった先人に想いを馳せることで、身が引き締まる思いになります。多少時間を割いてでも訪れる価値は間違いなくあるでしょう。ぜひ訪れてみてください。