インドネシア・ジャワ島の西端で起きた物語。ウジュンクロンの悲劇、そしてタンジュン・ルスンの奇跡。

 

もう4年も前になるだろうか。まだ私が日本で働いていたころの話だ。

当時はまだインドネシアのロンボク島へ行ったことがなかった。私は有休休暇を取り、ジャカルタに住む友人二人は旧正月の休みを利用して、ロンボク島へ旅行に行くことになった。

ロンボク島への航空券やホテルを予約した時は、まさかこの後起こる悲劇、もとい喜劇、いや奇跡など想像もしなかったのだ。

 

 

夕方、スカルノハッタ空港に到着する。

迎えになど来てくれる友人ではなかったので、そのまま友人Y宅へ。今回の旅行は同級生の友人Yと一つ上の先輩友人Kと同行する。

家に着き、開口一番インドネシアの洗礼を受ける。

 

あ、ごめん。飛行機予約してねえや。

 

こいつらは何を言っているのだろう。

有休をとって、安くない飛行機代を支払い、遠路はるばる半日かけてジャカルタまで来た。

翌日には飛行機でロンボク島へ向かうはずではなかったのか。

あまりの衝撃に怒りを通り越して呆れを感じてしまった。

 

当然翌日の飛行機など取れるべくもなく、翌日空港の窓口で取るかという話にもなったが、取れなかったときのリスクが大きい。

やむなし、ホテルとロンボク往復の航空券をキャンセルし、翌日以降の行き先を検討することに。

 

私としては冬の日本を抜け出し、南の国にバカンスに来たのだから、ビーチリゾートは外せない。

プロウスリブという話も上がったが、最近行ったこともあり面白みがない。

 

そういえばジャワ島西のアニエールビーチ(Anyer)はどうだろう。

中学生の時に訪れたのだが、今再び訪れるのも悪くない。

もう少し先に行けばTanjung Lesungというリゾート地もある。

Yは車、しかもランクル80。雨季とはいえ、多少の悪路なら問題ない。

 

 

決まりだ。

翌日、ランクルに乗り、一路西へ向かう。

うだうだして昼前に出たので、アニエール近辺についたのは夕方少し前だった。

 

今日の宿を探そうと、手近なホテルをウォークインで取る。

いくらかは忘れたがとりあえず安かった気がする。

 

アニエールはジャワ島の西の端。

そのため海岸線に沈む綺麗な夕陽が特徴だ。

 

 

夕食は近くのワルンで摂った。

海岸沿いだけあってシーフードが豊富なので、Ikan Bakar(焼き魚)を中心に頼む。

白飯、サンバル、Ikan Bakarにビンタンビールの組み合わせは最強だと、個人的に思う。

 

 

近所の立派なホテルにあったカラオケに行って、この日は終了。

地方のカラオケは女の子がすれていなくて、結構楽しかったりする。価格が安いのも魅力的。

 

旅二日目。

特に当てのない旅だったが、ジャワ島の西端にUjung Klon(ウジュン・クロン)という国立公園がある。

そしてこの公園では野生のジャワサイを見ることが出来るそうだ。

せっかくなので、行ってみることになった。

 

ランクルを走らせ、マップ上では限りなく国立公園へ近い街までたどり着く。

高い建物など全くなく、THE・地方の街。

 

 

探せど国立公園への入り口は見つからず。

よく考えたらジャワサイもどこでどうやって見れることやら…。

 

仕方ないので、昼食を摂り、予約していたTanjung Lesungにあるリゾートホテル「Hotel Bay Villas」へ向かう。

ちなみに後から調べたところ、ウジュン・クロンへはボートに乗りかえて向かう必要があったようだ。

 

 

そして物語は始まる・・・。

 

さて、時は2月。時期は雨季。

道はぬかるみ、地方へ行けば行くほど道も舗装されなくなる。

しかしそれを見越してのランクルである。

 

 

のどかな田園風景を眺めつつ、道を行く。

私たちはSanurというウジュン・クロンに近い街から北上することにした。

道は2パターンあった。

一つは、そのまま海岸沿いを北上するルート。

もう一つは、遠回りながら国道を通っていくルート。

 

 

分岐路で悩んだ末、海岸沿いの道を北上すれば30分で着くというGoogle Mapの意見が2対1で採用された。

 

世界のGoogleを信じ道を行くも、どんどん舗装がなくなっていく。

 

 

今にも崩れそうな橋もあった。

今思えば、よくこんな頼りない橋を、重量級のランクルで渡ったものである。

 

 

写真はないが、道中で川かと見紛う水たまりに遭遇した。

ちょうど私たちの前をトラックが通っており、彼らが突っ込んで渡り切ったのを見て、私たちも通ることにした。

水たまりは思ったより深く、タイヤの高さを超える以上で、このまま水没するんじゃないかと思った。

それでも浸水することなく乗り切ったのだから、やはり世界のトヨタ、ランクルは違う。

 

そうこうしているうちに日が暮れていく。

悪路のせいで30分はとうに過ぎたが、マップを見ると全然進んでいなかった。

周りを通る車もなくなり、焦りを感じながら、それでも道はどんどんひどくなっていく。

 

 

そして、とうとう悲劇が起きる。ランクルの限界だ。

自慢の四駆でも抜け出せないぬかるみにハマってしまった。

 

この際、身体が泥まみれになることなど気にしていられない。

エンジンをふかすY。そして車を押す私とK。

 

近くに落ちている石や棒切れをあてがい、30分の格闘の末、ようやくランクルの右後輪が抜け出した。

 

Kは思わず喜び、叫ぶ。オッシャー!と。

しかし残る二人の青年は沈黙する。

この後に待ち受ける更なる試練を思うと、全く喜べない。

ぬかるんだ道はまだまだ続くのだ。いつまた同じ目に遭うか。

 

恐れていたことはすぐに起きた。

15分後、ふたたびぬかるみにハマる。

 

 

夕陽が沈む。夜が訪れる。車を押す気力が尽きた。

このままここで夜を過ごすのか。

明日になれば脱出できるのか。

というか明日の飛行機で日本に帰らないといけないのだが。

 

悲嘆に暮れながら見た綺麗な星空が印象的だった。

 

ふと、遠くに民家の明かりが見える。

ダメもとで助けを求めてみよう。三人の意見は一致した。

 

 

民家にはおばさんがいた。声を掛ける。

事情を説明すると、旦那さんを連れてきてくれた。

 

旦那さん「それは大変だったな。良かったら上がっていけ。

 

思いもよらないおもてなしを受け、困惑する。

奥さんがアクアを持ってきてくれた。

旦那さんから「インドミーを食べるか」と勧められたが、さすがに遠慮した。

 

車を押してくれるよう頼むと、「任せておけ、近所のやつらにも声を掛けてくる。」とのこと。

ありがたくて涙が出そうだ。

 

でも、その前におまえの車を見せてくれ

 

確かに、どういう状況かは見ておいてもらったほうが良い。

車に戻る。すると、「鍵を貸してくれ」と言われる。

 

おいおい、旦那ちょっと待ちな。

こちとらさっきまで散々悪戦苦闘した後だ。

こう言っちゃあ悪いが、こんなド田舎に住んでいるやつに運転できるわけないだろう。

 

鼻で笑いながら(もちろん態度には出さず)鍵を渡す。

 

そして我々は奇跡を目撃する。

 

エンジンをかけ、ランクルを少し吹かす旦那。

 

と、次の瞬間!

 

ブオン、ブオン、ブオオオオオオオンンンン

 

ランクルがすごい勢いで、私たちの目の前を「跳ねて」いった。

信じられないアクセルワークで、ぬかるみをいとも容易く、華麗に攻略していく。

 

何が起きたか分からず、呆然とする青年3人。

先ほどまで自分たちがしていた苦労はなんだったのだろうか。

そして、ランクルから降りた旦那がこう言った。

 

道の整備されているところまでおれが運転してやるよ

 

神はここにいたのか。

 

旦那と、もう一人友人を乗せ、5人旅になった。道中話を聞いてみる。

するとこの旦那、ついこの間までカリマンタンの自動車レースで整備士をやっていたそうだ。

その時の車はなんの奇遇だろうか、ランクル70

道理でランクルの扱いに慣れている訳だ。

 

この車、このタイヤなら本来これくらいの道はなんともないんだぜ

 

旦那の一言に、車の持ち主友人Yがちょっぴりへこむ。

 

暗闇の悪路を運転すること20分、舗装された道へ出た。

伝えきれないほどの感謝の気持ちを神に伝える。

しかし旦那の家からは結構離れたところまで来てしまった。

どうやって帰るの?と聞くと、

 

歩いて帰る

 

オーマイガー。神半端ねえって。

とりあえず溢れんばかりの感謝の気持ちをお金に込めて。

一人100,000ルピア、三人合わせて300,000ルピアチップを渡す。

 

舗装された道を走るのはこんなにも快適なのか。

リゾートにほど近い、山道の終点にワルンがあった。

そこにいたドライバーに聞かれる。

 

「おまえらどこから来たんだ?」

「あっち」

「本当かよ!?この時期は地元の人間でも通らないような道だぜ」

 

やっぱりそうだったのか…。

世界のGoogleも過信してはいけない。今回の教訓だ。

 

ようやくホテルに到着。

それにしても疲れた。みんな泥のように眠る。

翌朝見たランクルはすごい泥まみれ。

 

 

晴れ空の中、昨日通ってきた道を眺める。

こりゃあ、ひでえ。

地元の人間も通りたがらないわけだ。

 

 

タンジュンルスンのホテルはかなり綺麗。

ビーチも近く、プールもある。

 

 

昨日の喧騒を振り返りながらしばし休憩をし、昼過ぎにジャカルタへ出発。

帰り道はひたすら舗装された国道を進み、私はその足で日本へと帰国した。

 

あれから4年が経った。

あの夜見たランクルの奇跡は、今でも脳裏に焼き付いている。

言葉では説明できない、3人にしか分からない奇跡の体験だ。

たまには苦労するのも悪くはない。