【日本100名城】幕末の愛の物語が生まれた城。日本三大水城の一つ高松城を訪れた。

 

100名城巡りツーリング、2日目第4弾は玉藻城こと高松城です。

玉藻城の由来は、かつての高松城、現在の玉藻公園の北側にある海を「玉藻浦(玉藻の浦)」と呼ばれていたことに由来します。現在の高松城は天守閣はありませんが、披雲閣や月見櫓など数点の重要文化財があり、敷地は玉藻公園として整備されています。

高松城は高松市街中心部の少し北に位置し、北側にフェリー乗り場など港湾施設、西側にJR高松駅、東側に香川県歴史博物館、南側には高松高等裁判所・西日本放送などがあり、かつて中心地として栄えた名残が今もあります。

 

アクセス・駐車場

高松駅から徒歩で向かうことが出来ます。

車の場合は、玉藻公園の東門に「玉藻公園専用駐車場」があり、なんと無料です!

一方で、公園内に入るには入園料200円が必要です。正月3が日と桜の夜間見学(3月下旬~4月上旬)、こどもの日は入場無料となっています。100名城スタンプは、高松駅からアクセスする際の西門入り口と、駐車場そばの東門入り口で、入園料を支払う窓口で押すことが出来ます。

 

 

水堀

公園内に入るとまず目につくのが水堀です。

高松城は今治城などのように、城内の堀に海水を引き込むように造られました。そのため中津城と合わせて三城は、日本三大水城(海城)と呼ばれています。現在でも外堀と内堀には海水が引き込まれており、往時の名残を残しています。そのため堀には牡蠣などの貝が生息し、養殖の鯛も放流されています。

また木船で城内の堀を巡るツアーも行われており、こちらは西門から入ってすぐのところに受付があります(有料)。

 

 

本丸跡

高松城の本丸は城の中央に位置し、二の丸とは“鞘橋”という30mほどの木造の橋で繋がっているのみです。

万が一攻め込まれた際に橋を落として敵を断ち、孤立した本丸から舟で海へ逃げるという戦略から、この構造になったと言われています。“鞘橋”の名称は、橋上に屋根と側壁があり、それを刀の鞘に見立てたことによります。1971年に架け替えられた鞘橋の橋脚は、海水による腐食防止のために石材で造られています。

 

 

かつて高松城には四国最大ともいわれる天守閣がありました。明治時代に老朽化から解体され、大正時代に玉藻廟という松平家を祀った廟が建てられましたが、こちらも2005年に解体されました。

その後、天守台の石垣の修繕再建工事に入り、2011年に完成しました。今後は天守閣の再建にも取り組みたいそうですが、再建の目途はたっていません。

 

 

月見櫓

城の北側には月見櫓という三層三階の櫓があります。重要文化財に指定されており、その様はまるで天守閣のようです。

月見櫓の横には、同じく重要文化財の水手御門があります。この水手御門は、海水が満ちると浸かってしまいますが、正式な出入り口です。城主はこの門から小舟に乗り、沖に止まった大船に向かったと言われ、城主の船が着くのを見る「着き見」が由来と言われています。

毎週日曜日、月見櫓と渡櫓の中が一般公開されています。

 

左手が月見櫓、中央の門が水手御門です。

 

高松城の愛の物語(披雲閣)

高松城の三の丸には披雲閣という書院風建造物があります。1872年に老朽化によって取り壊され、1917年に再建されました。昭和天皇が宿泊したり、アメリカ軍に接収されたりしましたが、最終的に高松市が譲り受け、現在は貸会場として市民に利用されています。

2012年に近代和風建築として重要文化財に指定されました。披雲閣は入場無料となっています。

 

 

披雲閣内部では、ある恋物語が紹介されています。

幕末、明治維新のころ、最後の高松藩主・松平頼聰(まつだいらよりとし)公と江戸幕府大老で彦根藩主・井伊直弼の娘・弥千代姫の愛の物語です。

安政四年(1857年)9月26日、頼聰の父・松平頼胤(よりたね)と井伊直弼は江戸の付き合いで親交が深く、その縁で頼聰と弥千代姫の縁組が決まります。同年10月21日、頼聰は彦根へ向かい始めて弥千代姫と対面しました。その際、弥千代姫は自ら頼聰に茶を点てたそうですが、当時の慣わしからお姫様自らが茶を点てるというのは非常に稀有なことでした。奇しくも同じ日、二人の父は米国総領事ハリスと対面していました。

翌年の安政五年(1958年)、弥千代姫は頼聰のもとへ嫁ぎます。この時頼聰25歳、弥千代姫はまだ13歳でした。そして2年後、井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されると、辺の原因を作ったとして、井伊家と松平家に処罰が下り、文久3年(1863年)に弥千代は彦根に戻ります。わずか5年の結婚生活で、この時頼聰30歳、弥千代姫は18歳でした。

桜田門外の変で離ればなれになった若い夫婦ですが、明治維新の激動を経て、明治5年(1872年)、皇族の有栖川宮家の仲介もあり、二人は復縁します。頼聰39歳、弥千代姫27歳、頼聰は喜んで弥千代を迎えました。

高松藩最後の藩主という立場でありながら再婚をしなかった頼聰、妙齢の美しい時期にも関わらず独り身を通した弥千代。九年という長い年月を経て、再び結ばれることとなりました。

この縁により昭和41年(1966)、高松市と彦根市は姉妹都市となりました。

伝説愛の物語(披雲閣内展示物)を一部改変

 

まとめ

高松城は春には桜の名所として有名です。夏には披雲閣の庭園でライトアップとミストシャワーによる夕涼みイベントがあります。現在でも街の中心地で、市民の憩いの場に利用されています。

高松市内の中心地にあり。駐車場も無料。路面電車でも気軽に訪れることが出来るので、ぜひ高松を訪れる際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。