【日本100名城】吉田郡山城訪問記。安芸高田市にある、毛利元就が生誕した場所。

 

3月最終週の日曜日。

今回のツーリングは広島県安芸高田市にある100名城の1つ、吉田郡山城です。

ザ・広島の戦国大名である毛利元就生誕の地であり、黎明期の居城でもあります。ここを拠点に毛利氏は中国地方の覇権を握ったのでした。

 

 

吉田郡山城について

吉田郡山城がある安芸高田市までは、広島市街から下道で約1時間程度です。半日ツーリングにはちょうどいい距離ですね。目的地は、広島から松江まで繋がる国道54号線の傍にありました。

広島市街に近いところは休日とあって交通量も多いですが、ある程度山間部まで進むと信号も少なく、流れが良くなるためツーリングには良い道が続きます。国道54号線は重要幹線道路のため、道沿いにはコンビニやガソリンスタンドなどの店も多いです。

吉田郡山城は毛利氏の居城として長年使用されていましたが、広島城が完成した1591年に毛利氏やその家臣はそちらに移り住み、最終的に1615年の一国一城令にて廃城となります。現在は毛利元就の墓や本丸跡などの遺構を残すのみです。

 

吉田郡山城の100名城スタンプの場所

まずはふもとにある安芸高田市歴史民俗博物館に赴きます。こちらで100名城スタンプを捺印します。

 

 

城跡巡りは山歩き出来る格好で

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杖を借りていざ山登りへ。

やはり中国山地深くに建てられた城だけあって、それなりにきつい山登りでした。とはいえ月山冨田城ほどの険しい道のりでもなく、道中は家族連れも見かけました。

まず目にするのは毛利元就の墓です。

毛利元就と言えば息子に説いた三本の矢の話が有名です。ところがこの話、実は後の創作であり、元となったのは「三子教訓状」という文書。

この「三子教訓状」についての説明は、広島城や宮島など広島県内(旧安芸国)の至るところで目にすることができます。ちなみにサッカーチームのサンフレッチェ広島の由来もこれです。

 

チーム名のサンフレッチェ(SANFRECCE)は、日本語の「三」とイタリア語で矢を意味する「フレッチェ(FRECCE)」を組み合わせた造語。 広島に緑の深い戦国武将、毛利元就の「三本の矢」の故事にちなんだ。
サンフレッチェ広島(さんふれっちぇひろしま)とは – コトバンク

 

吉田郡山城名物・百万一心の碑

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毛利元就といえば、もう一つ有名なのが「百万一心」という言葉ですね。

文字を崩すと一日一力一心と読め、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味しています。

個人的には、この碑が一番毛利元就らしさを感じるものでした。

百万一心の碑を過ぎて、それなりに険しい山道を上っていくと、開けた場所に出ます。ここが本丸・二の丸跡です。本丸跡にも同じように場所を示す碑が建てられています。

 

本丸跡にも石碑がある

本丸・二の丸周辺

本丸・二の丸周辺

本丸跡

 

本丸跡近辺からは安芸高田市の街並みも臨むことができます。今は平穏なこの城下町で、かつて毛利の存亡を賭けた尼子氏との合戦があったとは、中々想像できません。

 

安芸高田の街並み

 

吉田郡山城は、観光客というより県内からの家族連れや老夫婦などが多くみられました。今もなお、毛利元就が広島人にとっての誇りなのだろうと思います。

 

残り90城