【日本100名城】大都会岡山の中心にある『豊臣時代を伝える数少ない語り部』の岡山城を訪れた。

 

夏休み100名城巡りツーリング、岡山編第三弾はいよいよ岡山城です。

大都会・岡山の中心地に位置する岡山城は、別名烏城(うじょう)とも呼ばれ、一帯は烏城公園と呼ばれています。隣接した土地には、日本三名園の一つ『後楽園』があります。

 

 

アクセス

車で訪れた場合は、烏城公園駐車場や向かいの図書館の駐車場などを利用することが出来ます。

一方で、バイクの駐車場の整備はほとんどされていません。今回は烏城公園駐車場の管理者の方に相談して、好意で停めさせてもらうことが出来ました。空きがない繁忙期や早い・遅い時間帯ですと難しいかと思います。

 

烏城公園駐車場から最も近いのは南側の入り口となります。

 

本丸広場

 

2014年の発掘調査で、新たにこれまでの文献に記されていなかった軍事倉庫が見つかったなどしており、調査中の場所もあります。

 

天守閣

戦前は国宝だった天守閣も、戦火で焼失してしまいます。現在の天守は1960年代に再建されたもので、天守内部もかなり観光化されています。天守の外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、これが烏のような黒に見えることから烏城と呼ばれています。

ちょうど隣の兵庫県に位置する「白鷺城(はくろじょう)」とも呼ばれる姫路城と対比されることがあります。

また、烏城(からすじょう)と言えば、本来長野県の現存天守を誇る松本城がありますが、こちらは市民からそう呼ばれているだけで、正式な呼び名として残っているわけではありません。

 

天守は再建されたものながら、6階建ての立派で荘厳な建物です。

天守内部には岡山の名産・桃を活かしたスイーツのある喫茶店や、備前焼の体験工房、着物や甲冑の着付けなど様々なことが出来ます。エレベーターも備え付けられており、再建されたサイボーグ城の良いところです。

 

 

最上階、6階からは天守前の広場を望むことが出来ます。

この時は美術専門学校の学生がキャンドルライトを用いた作品を準備していました。最上階にいる学生がトランシーバーで地上にいる学生に盛んに指示を飛ばしていたのが印象的です。

ちなみにこの金の鯱(しゃちほこ)は、創建当時の天守には金の鯱が乗っており金烏城と呼ばれていたことにちなんで、1996年の築城400年記念の際に金箔を施したものです。どことなくシーサーのような顔つきが気になります。

 

 

岡山城に残る逸話

岡山城内の展示物で、岡山城にまつわる逸話を紹介した屏風がありました。そのなかから2つほど、面白い話をピックアップして紹介します。

本丸の大火

寛永11年(1634)正月11日、城主池田光政が参勤交代で江戸に滞在中に、本丸の建物が失火のため全焼し、天守閣にも燃え移ろうかという大事が生じました。

天守閣の消失は家臣の努力により食い止められ、天守閣は焼け残りましたが、再建されるまで多くの日数と労力を要しました。

天守閣が焼け残ったのは櫓や城門と同様、城の大切な部分には耐火の工夫がなされていたからでしょう。

また大火のある前に、表玄関の柱に白羽根の矢が突き立っていて、「白矢来る(シロヤクル)」が「城焼くる」に音が通じ、城の大火を予言したものがいたとも伝えられています。

 

対面所の怪談

二の丸の対面所の長屋に夜になると狐や狸が現れるので化け物屋敷と呼ばれ、誰も住む者がいなくなりました。

この話を聞いた殿様は、ある者に様子を見に行かせました。

するといろいろな怪物が現れ、踊り始めます。

彼は「これは愉快だ」と扇で囃し立て、化け物どもを躍らせて夜を明かしました。

踊り疲れたのか化け物は、その後は姿を現さなくなり、長屋は元通り人が住めるようになりました。

 

まとめ

公園内にあるように、岡山城は市民憩いの場として利用されているパターンの城です。サイボーグ天守のメリットを活かしてバリアフリー化を進めたり、城内に様々な体験施設を設けたりと、再建天守としてはかなり有効に活用していると感じます。